ブランドン・アレン
ブランドン・ダレル・アレン(Brandon Durell Allen、1986年2月12日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州コンロー出身の元プロ野球選手(一塁手、左翼手)。右投左打。 経歴プロ入りとホワイトソックス傘下時代2004年のドラフト5巡目(全体149位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名され入団。 ダイヤモンドバックス時代2009年7月7日にトニー・ペーニャとのトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍した[1]。同年8月22日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビュー。 2010年は8月末まではAAA級リノ・エーシズでプレー。9月のロースター拡大に伴ってメジャーに昇格すると、9月1日のサンディエゴ・パドレス戦で満塁ホームランを放った[2]。 アスレチックス時代2011年7月31日にブラッド・ジーグラーとのトレードで、ジョーダン・ノルベルトと共にオークランド・アスレチックスに移籍[3]。8月23日には1試合2本塁打を記録したが、9月にはチームの一塁手としては92年ぶりの記録となる14試合連続三振を喫した。 レイズ時代2012年4月19日にウェーバー公示を経てタンパベイ・レイズへ移籍。26日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦の移籍後初打席で本塁打を放った。 ソフトバンク時代2012年7月28日に福岡ソフトバンクホークスと契約したことが発表された。背番号はこのシーズン途中に退団となったアレックス・カブレラが着用していた「42」。 カブレラに代わる左の長距離砲として期待されたが、シーズン途中からの加入というのもあり、日本の投手に上手く適応できずに一軍成績は12試合、打率.171、0本塁打と振るわず、ファームでも成績がなかなか伸びずに、シーズン終了後の10月25日に退団が発表され[4]、11月1日付で自由契約となった[5]。 レンジャーズ傘下時代2012年12月6日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、翌年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[6]。 パドレス傘下時代2013年4月8日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[6]。オフの11月4日にFAとなった[6]。 メッツ傘下時代2013年11月19日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、翌年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[8]。 2014年11月13日にマイナー契約でメッツと再契約した[6]。 レッズ傘下時代2015年11月21日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ[6]。 2016年10月11日で自由契約となった[6]。この年限りで現役を引退した。 現役引退後現役引退後はセントルイス・カージナルス傘下のマイナー球団でコーチを歴任しており、2017年はルーキー級ジョンソンシティ・カージナルス、2018年はA+級パームビーチ・カージナルス、2019年はAA級スプリングフィールド・カージナルス、2020年からはAAA級メンフィス・レッドバーズの打撃コーチ[9]を務めた。 2023年シーズンより、カージナルスの打撃コーチ補佐に就任した[10]。 選手としての特徴ポール・コネルコの後継者と目された長打力を持ち味とする[11]。ボールをじっくりと見て失投を見逃さず叩くタイプで[12]、メジャー通算のIsoD.087と選球眼に優れる。 一方でメジャー通算の三振率が35パーセントを越えるなど三振が多い他、メジャー通算の対左打率.134と左投手に弱く[11]、2010年にはマイナーで自己最多の本塁打数を記録したが、25本塁打のうち21本が右投手からのものだった[12]。 守備では主に一塁手として起用される他、外野の両翼も経験がある。大学時代にはアメリカンフットボールのラインバッカーを経験しており、体格の割に敏捷性に優れるが[11]、一塁守備はメジャー通算のDRS-5、UZR-1.8と平均を下回る。 詳細情報年度別打撃成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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