ブランコ・ラスティグ
ブランコ・ラスティグ(Branko Lustig, 1932年6月10日 - 2019年11月14日)は、クロアチア出身の映画プロデューサー。 来歴ユーゴスラビア王国(現・クロアチア)・オシエクでユダヤ人の家に生まれる。第二次世界大戦中、ナチスによってアウシュヴィッツ、次いでベルゲン・ベルゼン強制収容所に収容される。戦後、彼と母親は解放されたものの、父親や祖母など多くの親族が犠牲になった。また、解放時、彼の体重はわずか66ポンドしかなかったという[2][3]。 1955年、ザグレブの映画製作会社に就職し、映画製作の仕事を始める[1]。1988年に渡米[1]。 1993年、『シンドラーのリスト』を製作、第66回アカデミー作品賞を受賞するなど高い評価を受けた。自身も冒頭シーンにウェイター役で出演している。2000年、『グラディエーター』でも第73回アカデミー作品賞を受賞した。 2000年代は主にリドリー・スコット監督作品をプロデュースしている。 2019年11月14日、87歳で死去[4][5][6][7][8]。 主なフィルモグラフィー
脚注
外部リンク |