フランソワーズ・ドボンヌ (Françoise d'Eaubonne; 1920年 3月12日 - 2005年 8月3日) は、フランス の作家 、評論家 。生涯にわたってフェミニスト 、反植民地主義者、エコロジスト、死刑廃止運動家として闘いを続けた。1960年代 後半から1970年代 前半にかけて起こった女性解放運動 (MLF) を牽引し、1971年 の同性愛革命行動戦線 (FHAR) の結成に参加。人工妊娠中絶 の合法化を求める「343人のマニフェスト 」に署名した。とりわけ、エコフェミニズム の提唱者として知られ、1978年 にエコロジー・フェミニズム協会を設立。作家活動も精力的に続け、小説、詩、評論、伝記など60冊以上を発表した。
背景
フランソワーズ・ドボンヌは1920年3月12日、フランソワーズ・マリー=テレーズ・ピストン・ドボンヌとしてパリ17区 に生まれた。母方の祖父はドン・カルロス(カルロス・マリア・イシドロ・デ・ボルボーン )の即位を求める勢力カルリスタの蜂起に参加したが、敗北後、フランスへの亡命を余儀なくされた。ドボンヌの母ロシタ=マリキータ・マルティネス・イ・フランコはフランスで生まれ、当時の女性としては珍しく理系を専攻。パリ大学 でマリ・キュリー 教授の講義を受けた。また、「社会的カトリシズム」として知られるマルク・サンニエ (フランス語版 ) が主宰した運動「シヨン」に参加し、ドボンヌの父エティエンヌ・ピストン・ドボンヌに出会った。父エティエンヌの家系には、アンティル諸島 で奴隷制度廃止運動 に参加した航海士がいる[ 1] 。キリスト教無政府主義 者の父エティエンヌは保険会社の事務長、母ロシタ=マリキータは教員であった。二人は5子をもうけ、フランソワーズは第3子であった。こうした知的・進歩的な環境で育ったフランソワーズは、とりわけ、結婚後も教員の仕事を続けていた母の影響を受け、幼い頃から母の仕事を通して女性に対する不平等に気づくようになった[ 1] 。
活動・思想
作家活動
一家は1930年 頃にトゥールーズ に引っ越した。ドボンヌはすでに10代から小説を書き始め、13歳でドゥノエル出版社主催の短編小説最優秀賞を受賞した。トゥールーズ文学・芸術大学に学び、学位はバカロレア までであったが、独学で教員になり、仕事をしながら執筆活動を続けた。22歳で最初の詩集『魂の円柱 (Colonnes de l'âme )』を発表。2年後の1944年 には小説『ヴァトー の心臓 (Le Cœur de Watteau )』を発表した。1942年 にジュイヤール出版社 (フランス語版 ) を設立したルネ・ジュイヤールにその才能を見出され、1947年、小説『白隼の飛翔のように (Comme un vol de gerfauts )』により読者賞を受賞した[ 2] 。
レジスタンス運動
一方、第二次大戦 中の1942年 には、「フランキー」という偽名を使ってトゥールーズのレジスタンス運動 に参加し、主に機密文書や小包の配達やパンフレットの作成を担当した。戦時中に作家ジャック・オーバンクと結婚。一子をもうけたが、間もなく離婚[ 3] 。オーバンクとの付き合いを通じて、数学者ローラン・シュヴァルツ 、哲学者ウラジーミル・ジャンケレヴィッチ 、哲学者・社会学者のリュシアン・ゴルドマン らと知り合った[ 1] 。
フェミニズム
1949年 に出版されたシモーヌ・ド・ボーヴォワール の『第二の性 』はドボンヌの一生涯にわたる大きな影響を与えた。ドボンヌは早速ボーヴォワールに会って親交を結び、1951年 にフェミニストとしての最初の著書『ディアナ・コンプレックス (Le Complexe de Diane )』を発表した。ドボンヌは本書で、ギリシア・ローマ神話を分析し、女性が政治(権力)からどのように排除されたかについて解明。さらに、マルクス主義 にフェミニズム の可能性を見出し、資本主義 体制批判の一環としての家父長制 批判を展開した。また、フェミニズムが提示する問題は、経済・社会問題以上に重要であるとし、社会主義 による女性の解放を説いた[ 3] 。
反植民地主義
ドボンヌはすでに1945年 に共産党 に入党していたが、1956年 にハンガリー動乱 が起こると、多くの知識人が共産党を脱退した。ドボンヌも1956年に、アルジェリア戦争 に対する共産党の態度に幻滅し、脱退[ 4] 。1960年、「アルジェリア戦争における不服従の権利に関する宣言」と題する「121人のマニフェスト (フランス語版 ) 」― アルジェリア戦争を合法的な独立闘争であると認め、フランス軍が行っている拷問を非難し、フランス人の良心的兵役拒否者を政府が尊重することを政府と市民に呼びかける公開状[ 5] (9月6日に『ヴェリテ=リベルテ』誌に掲載) ― に署名した[ 6] 。このマニフェストには、ボーヴォワール、サルトル 、クロード・ランズマン 、ローラン・シュヴァルツ、ピエール・ヴィダル=ナケ らの多くの知識人が署名している。
1950年代 から60年代にかけて、ジュイヤール社、カルマン=レヴィ (フランス語版 ) 社、フラマリオン (フランス語版 ) 社などの大手出版社から原稿の下読みを引き受けながら[ 1] 、小説、評論、伝記、回想録など多くの著書を発表した。とりわけ、同性愛 者のセクシャリティを探求し、『暗いエロス (Éros noir )』、『まだ男がいるのか ? (Y a-t-il encore des hommes? )』、『マイノリティのエロス (Éros minoritaire )』を著した。
女性解放運動
1968年 の五月革命 (Mai 68) では、所属していたフランス文学者協会 (フランス語版 ) およびソルボンヌ大学 を拠点として活動。さらに、五月革命を契機として起こった女性解放運動 の担い手となり、1971年にギィー・オッカンガム (フランス語版 ) 、クリスティーヌ・デルフィ 、ダニエル・ゲラン 、ピエール・アーン、ローラン・ディスポ (フランス語版 ) 、エレーヌ・アゼラ (フランス語版 ) 、ジャン・ル・ビトゥー (フランス語版 ) 、ルネ・シェレール 、パトリック・シャンドレールらと共に同性愛革命行動戦線 (フランス語版 ) (FHAR)[ 7] を結成[ 8] 。LGBT 運動の発端となった。
同年4月5日にはさらに、人工妊娠中絶の合法化を求め、自らの中絶経験を公にした「343人のマニフェスト 」(通称「あばずれ女343人のマニフェスト」; 起草者はシモーヌ・ド・ボーヴォワール;『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール (フランス語版 ) 』紙第334号掲載)に署名。このマニフェストにはボーヴォワールやボビニー裁判 の弁護士ジゼル・アリミ のほか、後の女性権利大臣イヴェット・ルーディ 、女性解放運動を牽引したクリスティーヌ・デルフィ、モニック・ウィティッグ 、アントワネット・フーク 、さらにはカトリーヌ・ドヌーヴ 、マルグリット・デュラス 、フランソワーズ・サガン 、ヴィオレット・ルデュック らの著名人が名を連ね、思想信条、党派、活動分野等の違いを超えた大規模な運動となり、1974年 の中絶の合法化(ヴェイユ法 )への道を切り開いた[ 9] [ 10] 。
エコフェミニズム
エコフェミニズム は、ドボンヌが1974年 に発表した『フェミニズムか、死か (Le Féminisme ou la mort )』において提唱した思想である。彼女は本書で、人類が直面している危機の原因は人口過多 と資源破壊であるとし、男性による女性の支配と自然の支配は同じイデオロギー に基づいており、女性の受胎能力と大地の肥沃さの発見から家父長制 が生まれたのであると論じた。さらに、男性優越主義(これをドボンヌは「ファロクラティスム」と名付けた)は本来女性が担っていた農業 が男性の手に渡ったときに生まれたと考えられる、したがって、今後、地球を救う役割を担うのは女性であると主張し、この「新たなヒューマニズム 」こそエコフェミニズムであるとした[ 3] [ 11] 。こうしてドボンヌは、1978年 にエコロジー・フェミニズム協会を設立した。ただし、この運動は、当時、フランスではほとんど反響を呼ばず、オーストラリアや米国において引き継がれ、大きな広がりを見せることになった[ 12] 。
1988年 、ミシェル・デイラスらと共に「あらゆる種類の性差別と闘い、この闘いのために科学・歴史・文化研究を行うこと」を目的とした「SOSセクシズム」を設立した[ 13] 。
死刑廃止運動
ドボンヌはまた、ミシェル・フーコー とも親交を深め、フランスの刑務所制度や死刑制度に反対する活動を行った。この一環として、1976年、『リベラシオン 』紙に「犯していない殺人の罪で懲役20年を言い渡されたフレンヌ刑務所の囚人ピエール・センナ、囚人番号645 513」と結婚すると発表し、物議を醸した[ 1] [ 14] 。翌77年には、俳優のギ・ブドス (フランス語版 ) 、歌手のイヴァン・ドタン (フランス語版 ) らと共に死刑廃止運動 を行った[ 14] (ロベール・バダンテール 法相が提出した死刑廃止法案が可決されたのは1981年 のことである)。
晩年
1980年代 、ドボンヌは過激化の傾向を示すようになり、「対抗暴力」としてアクシオン・ディレクト(直接行動 )やウルリケ・マインホフ の死後のバーダー・マインホフ・グルッペ(ドイツ赤軍 )を支持し、パンフレットや記事を書いた[ 3] [ 4] 。
ドボンヌは孤独な晩年を送ったが、これは一つにはこうしたテロリスト ・過激派 との関わりのためであり、またエコフェミニズムの運動が当初、フランスではあまり取り上げられなかったこと、さらにはボーヴォワールやヴィオレット・ルデュックなど他のフェミニストの活動に比べて、ドボンヌの活動はあまりにも多岐にわたり、一般に理解されなかったためであるとされる[ 4] 。
2005年 8月3日、パリにて死去、享年85歳。ペール・ラシェーズ墓地 で火葬に付された。
著書
小説
Le Cœur de Watteau (ヴァトーの心臓), 1944
Comme un vol de gerfauts (白隼の飛翔のように), 1947 --- ジュイヤール社読者賞
Belle Humeur ou la Véridique Histoire de Mandrin (上機嫌、またはマンドランの真実の物語), 1957
J'irai cracher sur vos tombes (お前らの墓につばを吐いてやる), 1959 --- ボリス・ヴィアン は、ヴァーノン・サリヴァンのペンネームで発表した『お前らの墓につばを吐いてやる』[ 15] が絶版になった後、これに基づく戯曲および映画脚本を執筆。亡くなる数日前に、ドボンヌがこの戯曲・脚本に基づく新版『お前らの墓につばを吐いてやる』を書くことに同意した[ 16] 。
Les Tricheurs (詐欺師), 1959 --- マルセル・カルネ 監督『危険な曲り角』(原題: Les Tricheurs ) に基づく作品。
Jusqu'à la gauche (左まで), 1963
Les Bergères de l'Apocalypse (黙示録の女羊飼いたち), 1978
On vous appelait terroristes (お前はテロリストだと言われた), 1979
Je ne suis pas née pour mourir (死ぬために生まれたのではない), 1982
Terrorist's blues (テロリストのブルース), 1987
Floralies du désert (砂漠の花祭り), 1995
伝記
La Vie passionnée d'Arthur Rimbaud (アルチュール・ランボー の情熱的人生), 1957
La Vie passionnée de Verlaine (ヴェルレーヌ の情熱的人生), 1959
La Vie de Chopin (ショパン の生涯), 1964
Une femme témoin de son siècle, Germaine de Staël (世紀の証人 ― ジェルメーヌ・ド・スタール ), 1966 --- シュヴァス賞
La Couronne de sable, vie d'Isabelle Eberhardt (砂の冠 ― イザベル・エベラールの生涯), 1967
L'Éventail de fer ou la vie de Qiu Jin (鉄の扇 ― 秋瑾 の生涯), 1977
Moi, Kristine, reine de Suède (私、クリスティーナ はスウェーデンの女王), 1979
L'Impératrice rouge : moi, Jiang King, veuve Mao (赤い女帝 ― 私、江青 は毛沢東 の妻), 1981
L'Amazone sombre : vie d'Antoinette Lix (陰鬱なアマゾン ― アントワネット・リックスの生涯), 1983
Louise Michel la Canaque (カナック の女、ルイーズ・ミシェル ), 1985
Une femme nommée Castor (カストールと呼ばれた女), 1986 --- シモーヌ・ド・ボーヴォワールの伝記
Les Scandaleuses (物議を醸す女たち), 1990
L'Évangile de Véronique (聖ヴェロニカ の福音), 2000
随筆・評論
Le Complexe de Diane, érotisme ou féminisme (ディアナ・コンプレックス ― エロティシズムとフェミニズム), 1951
Éros noir (暗いエロス), 1962
Y a-t-il encore des hommes? (まだ男がいるのか ?), 1964
Éros minoritaire (マイノリティのエロス), 1970
Histoire et actualité du féminisme (フェミニズムの歴史と現状), 1972
Le Féminisme ou la mort (フェミニズムか、死か), 1974
Les Femmes avant le patriarcat (家父長制以前の女たち), 1976
Contre violence ou résistance à l'état (対抗暴力または国家への抵抗), 1978
Histoire de l'art et lutte des sexes (芸術史と性闘争), 1978
Écologie et féminisme : révolution ou mutation ? (エコロジーとフェミニズム ― 革命か、突然変異か ?), 1978, 新版 Libre et Solidaire Éditeur, 2018
S comme Sectes (セクトのS), 1982
La Femme russe (ロシアの女), 1988
Féminin et philosophie : une allergie historique (女性的なるものと哲学 ― 歴史的アレルギー), 1997
La Liseuse et la Lyre (読書する女と竪琴), 1997
Le Sexocide des sorcières (女魔法使いの性殺し), 1999
詩集
Colonnes de l'âme (魂の円柱), 1942
Démons et merveilles (悪魔と驚異), 1951
Ni lieu, ni mètre (場所でもメートルでもなく), 1981
回想録
Chienne de jeunesse (若い雌犬), 1965
Les Monstres de l’été (夏の怪物), 1967
脚注
^ a b c d e “EAUBONNE (d’) Françoise [PISTON d’EAUBONNE Françoise, Marie-Thérèse, dite (...) - Maitron]” (フランス語). maitron-en-ligne.univ-paris1.fr . 2019年1月14日 閲覧。
^ “Caroline Goldblum, « Françoise d’Eaubonne, à l’origine de la pensée écoféministe », L'Homme & la Société 2017/1-2 (n° 203-204) ” (フランス語). cairn.info. 2019年1月14日 閲覧。
^ a b c d Sylvie Chaperon, ed (2017). Dictionnaire des féministes. France - XVIIIe-XXIe siècle . Presses Universitaires de France
^ a b c Caroline Goldblum (2011-10-28). “Françoise d’Eaubonne, une intellectuelle « maudite » ?” (フランス語). Genre & Histoire (8). ISSN 2102-5886 . http://journals.openedition.org/genrehistoire/1215 .
^ 額田康子「Female Circumcision(FC)/Female Genital Mutilation(FGM)論争再考 」大阪府立大学 博士 (人間科学)、 甲第1322号、2011年、NAID 500000546706 、2022年2月21日 閲覧 。
^ “Ressource «Eaubonne, Françoise (d') (1920-2005)» - ” (フランス語). Mnesys . 2019年1月14日 閲覧。
^ “フランスLGBT・知られざる抑圧の歴史 | LGBT最前線 変わりゆく世界の性 ”. 東洋経済オンライン (2013年3月1日). 2019年1月14日 閲覧。
^ “Front Homosexuel d'Action Révolutionnaire (F.H.A.R) - [Fragments d'Histoire de la gauche radicale ]” (フランス語). archivesautonomies.org . 2019年1月14日 閲覧。
^ “Un appel de 343 femmes ” (フランス語). L'Obs . 2019年1月14日 閲覧。
^ “「即座に平等を!」と 343人の女性たちが署名。 ”. OVNI| オヴニー・パリの新聞 . 2019年1月14日 閲覧。
^ Badoux Camille (1974). “Françoise d'Eaubonne, « Le Féminisme ou la Mort », éd. P. Horay” (フランス語). Les cahiers du GRIF 4 (1): 66–67. https://www.persee.fr/doc/grif_0770-6081_1974_num_4_1_945_t1_0066_0000_3 .
^ “Françoise d'Eaubonne, une figure du féminisme français” (フランス語). (2005年8月5日). https://www.lemonde.fr/disparitions/article/2005/08/05/francoise-d-eaubonne-une-figure-du-feminisme-francais_677960_3382.html 2019年1月14日 閲覧。
^ “Présentation ” (フランス語). www.sos-sexisme.org . 2019年1月14日 閲覧。
^ a b “Françoise d'Eaubonneest morte ” (フランス語). L'Obs . 2019年1月14日 閲覧。
^ ボリス・ヴィアン 著. 鈴木創士 訳 (2018). 『お前らの墓につばを吐いてやる』 . 河出書房新社
^ “D'EAUBONNE Françoise, J'irai cracher sur vos tombes ” (フランス語). Livre Rare Book . 2019年1月14日 閲覧。
参考文献
関連項目