フェリーとねは、東九フェリーが運航していたフェリー。後に新日本海フェリーのフェリーしらゆり、大阪国際フェリーの檀皇としても就航した。
概要
関光汽船が設立した東九フェリーの航路開設にあたり、僚船のフェリーてんりゅうとともに幸陽船渠で建造され、1973年12月に東京~小倉(日明)航路へ就航[2]した。
1975年10月、すずらん丸と交換で、フェリーてんりゅうとともに新日本海フェリーに売船され、フェリーしらゆりとなる[3]。1980年2月からは新潟~小樽航路へ転配された。1987年4月、ニューしらゆりの就航により引退、係船される。
その後韓国の国際フェリーが購入、檀皇と改名して、1989年4月より大阪~釜山航路に就航し、1990年7月に日本側の発着地を神戸港に変更した[4]。その後1993年2月に航路が運休となり[5]、1997年にフィリピンに売却された。
船内
フェリーとね時代[1]
- 特別室(計4名)
- 一等室(計48名)
- 特二等室(計56名)
- 二等室(計390名)
- 運転手室(計98名)
壇皇時代
- Cデッキ
- インフォメーション
- レストラン
- マルチホール
- 免税店
- 2等室カーペット(5名1室・9名1室・10名2室・11名1室・20名2室・8名2室)
- 2等室ベッド(54名1室・44名1室)
- Bデッキ
- サロン
- 貴賓室(洋室 2名×2室)
- 特等室(洋室 2名×4室)
- 1等室(和室 4名14室)
- 特2等室(洋室 14名4室)
- 2等室カーペット(8名2室・11名5室・13名2室・15名4室・16名2室)
- 2等室ベッド(54名1室・44名1室)
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 新造船写真集 自動車航送旅客船 フェリーとね FERRY TONE 東九フェリー株式会社 - 船の科学1973年7月号
- ^ “オーシャントランス株式会社 会社沿革”. オーシャントランス株式会社. 2015年11月1日閲覧。
- ^ “新日本海フェリー 会社案内 沿革”. 新日本海フェリー. 2015年10月31日閲覧。
- ^ 山田廸生「「オリンピア88」と「檀皇」のグレード差」- 旅客船No.174(日本旅客船協会)
- ^ 日韓フェリー運休 国際、大阪国際フェリーが相次いで - 内航近海海運1993年5月号