フィルヒナー・ロンネ棚氷フィルヒナー・ロンネ棚氷(フィルヒナー・ロンネたなごおり、英語: Filchner-Ronne Ice Shelf)は、南極にある棚氷。ウェッデル海の南部を覆っている。 フィルヒナー棚氷(Filchner Ice Shelf)とロンネ棚氷(英語: Ronne Ice Shelf)を併称したもので、ロンネ・フィルヒナー棚氷(英語: Ronne-Filchner Ice Shelf)とも呼ばれる[1]。 地理位置・広がりウェッデル海の南部を覆う棚氷で、面積は約450,000平方キロメートル。南極の棚氷ではロス棚氷に次ぐ広さを持つ。バークナー島以西をロンネ棚氷[2]、バークナー島以東をフィルヒナー棚氷という[3]。 西にエルスワースランド、北西に南極半島、東にコーツランドに囲まれている。 領有権主張→「南極における領有権主張の一覧」も参照
アルゼンチン、イギリス、チリが、フィルヒナー・ロンネ棚氷の全域もしくは一部の領有を主張している。3か国の主張は重複している。 イギリスは西経20度から西経80度の範囲を「イギリス領南極地域」として領有を主張している。 アルゼンチンは西経25度から西経74度の範囲を「アルゼンチン領南極地域」として領有を主張している。 チリは西経53度から西経90度を「チリ領南極」として領有を主張している。 いずれの主張も南極条約により凍結されている。 歴史・名称フィルヒナー棚氷フィルヒナー棚氷の東部は、1912年の1月から2月にかけて、ヴィルヘルム・フィルヒナー率いるドイツの観測隊によって発見された。フィルヒナーはこの土地の名をドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に献じようとしたが、皇帝は発見者の名をつけることを望んだ[3]。 ロンネ棚氷ロンネ棚氷の名は、アメリカ合衆国の探検家フィン・ロンネの名にちなむ。 ロンネは1947年から1948年にかけてアメリカ海軍予備隊 (United States Navy Reserve) によるロンネ南極調査探検隊 (Ronne Antarctic Research Expedition) (RARE)を率いた[2]。ロンネの探検隊は1947年11月から12月にかけて、2回の航空機による観測によりこの棚氷の北部を発見し、写真を撮影した[2]。ロンネは棚氷を"Lassiter Shelf Ice"と名付け、その南部に広がる陸上と考えられた地域をエディス・ロンネ・ランド(Edith Ronne Land)と命名した[2]。エディス・ロンネ (Edith Ronne) はフィンの妻で、探検隊の一員であり[2]、同隊に参加したジェニー・ダーリントンとともに、南極で越冬した最初の女性の一人となった[4]。 1957年から1958年、アメリカ合衆国は国際地球観測年に合わせてエルスワース基地 (Ellsworth Station) を設置し、ロンネが率いてこの地域の調査が行われた[2]。その結果、棚氷はそれまで考えられていた以上に広く、大陸と考えられ "Edith Ronne Land" と命名されていた地域の大部分を含むことが分かった。James Lassiter の名はパーマーランドの海岸にも命名されていたため、アメリカ合衆国の南極地名諮問委員会(US-ACAN)は、この巨大な棚氷をロンネ棚氷と命名することを承認した。ロンネの指揮の下、この棚氷が最初に観測され、探検されたことを記念するものである[2]。 脚注
外部リンク
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