パイオニア・ヴィーナス計画パイオニア・ヴィーナス計画(パイオニア・ヴィーナスけいかく、Pioneer Venus project)は、別々に打ち上げられた2機の探査機によって行われた。パイオニア・ヴィーナス1号(パイオニア・ヴィーナス・オービター)は1978年に打ち上げられて軌道投入後十数年にわたって金星を探査し、パイオニア・ヴィーナス2号(パイオニア・ヴィーナス・マルチプローブ)は4つの小さなプローブを金星の大気中に運んだ。アメリカ航空宇宙局のエイムズ研究センターがパイオニア計画の一環として運用した。 パイオニア・ヴィーナス・オービター
パイオニア・ヴィーナス・オービターは、1978年12月4日に金星の楕円軌道に入った。オービターは直径2.5m、高さ1.2mの平たい円筒形で、後方の4.7mのブームの先に付く磁気センサを除き、全ての機器とシステムが前端に収められている。円筒の周囲には太陽電池が展開し、デスパンアンテナが地球とのS帯及びX帯の通信を担った。ヒューズ・エアクラフト社によって製造された。 実験機器パイオニア・ヴィーナス・オービターは、合計45kgになる17個の実験機器を運んだ。
ミッションの詳細1980年7月に金星の軌道に入り、レーダーの補助と電離圏の測定のために近点は142kmから253kmの間に保たれ、遠点66,900kmの周期24時間の楕円軌道を回った。その後、近点は最高2290kmまで引き上げられ、燃料の節約のため再び下げられた。1991年、レーダーマッパーが再起動され、到着したマゼランとともに、以前はできなかった南半球の調査を行った。1992年5月、ミッションの最終段階に入り、燃料が枯渇して8月に大気圏再突入して燃え尽きるまで、近点は150kmから250kmに保たれた。 結果パイオニア・ヴィーナス・オービターのレーダー高度計のデータから、金星表面の最初の地形図が作られた。
パイオニア・ヴィーナス・マルチプローブパイオニア・ヴィーナス・マルチプローブは、1つの大きなプローブと3つの小さなプローブを運ぶ1つのバスから構成された。そのプローブのいずれも写真を撮影する能力はなく、土壌の分析もできなかった。また、ソフトランディングさえできず、地上で活動できれば幸運と考えられていた。大きなプローブのパラシュートはある程度の高度で切り離されるように設計してあり、小さなプローブにはパラシュートもなかった。大気圏に突入した全てのプローブは少なくとも衝突の瞬間までは、金星の厚い大気の中で機能していたが、衝突後もかなりの時間、機能を保ったのは1つだけであった。 大きなプローブは、1978年11月16日、3つの小さなプローブは11月20日に放出された。4つとも12月9日に、バスに続いて金星の大気圏に突入した。
バス
パイオニア・ヴィーナス・バスは、浅い進入角度で金星の大気圏に突入し、突入に伴う熱で破壊されるまでデータを伝送した。その目的は、地表までの大気の構造と組成、雲の性質と組成、大気下層の放射場とエネルギー交換、局地的な大気循環パターンの調査である。 バスは直径2.5mの円筒型で、重さは290kgであり、プローブが大気下層で減速するまで測定を行わなかったため、金星の大気上層の様子を唯一直接見せてくれた。 熱シールドもパラシュートも持たず、バスはイオン質量分析器(BIMS)と中性質量分析器(BNMS)を用いて、1978年12月9日に高度約110kmで崩壊するまで測定を続けた。 大プローブ
パイオニア・ヴィーナス大プローブは、7つの測定機器を備え、それらは密閉された球形の加圧容器の中に収められた。科学機器は、次の通りである。
加圧容器は、船尾の保護カバー内に収められた。金星の夜の側の赤道付近で約11.5km/sの速度で大気圏突入し、高度47kmでパラシュートが展開した。大プローブの直径は約1.5mで、加圧容器自体の直径は73.2cmであった。 小プローブ
3つの小プローブはどれも同じ形で、直径は0.8mであった。これらのプローブも防護殻に囲まれた球形の加圧容器から構成されていたが、大プローブと異なり、パラシュートはなく、防護殻はプローブから分離しなかった。 それぞれの小プローブは、大気中の放射エネルギーの源と滞留の分布をマッピングするための比濁計と温度、気圧、加速度のセンサー、流束放射計を備えていた。4つのプローブからの無線信号は、風、乱流、大気の伝搬を調べるのにも用いられた。 小プローブは、それぞれ金星の異なる地点を目標とし、それに応じた名前が付けられた。
1986年のハレー彗星の観測金星を周回するパイオニア・ヴィーナス・オービターは、1986年2月にハレー彗星が太陽の後ろに隠れた時、それを最前列で観測することができた。2月9日にハレー彗星が近日点にいた時には、紫外線分光計で水の消失を観測した[1]。 出典
外部リンク
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