ハガナー
ハガナー(ヘブライ語: הגנה)は、かつて存在したユダヤ人の軍事組織。イスラエル国防軍の基礎となった。 歴史1900年代初頭の第二次アリーヤー(パレスチナ地域へのユダヤ人の移民)と時期を同じくして1907年に結成されたユダヤ人の自警組織バル・ギオラが1909年にハショメールとなり、以来パレスチナのキブツ(集団農場)などユダヤ人定住地の護衛を行っていた。1920年になると第三次アリーヤーでユダヤ人移民が増えた為に脅威を感じたアラブ人が暴動を起した。これを受けて同年6月にハショメールは解散して統括的軍事組織ハガナーに再編成された。 第一次世界大戦に歴史的シリア南部地方が国際連盟のイギリス委任統治領パレスチナとなると、ハガナーの一部特別野戦隊はイギリス軍の訓練を受けた。目的は治安維持部隊としてのものだった。 第二次世界大戦1939年頃には、人員約2,000名を擁していた。1941年には、特別夜戦隊(SNS)が発展しハガナー常備軍のパルマッハ("突撃隊"の意)となった。当時、パレスチナのユダヤ人軍事組織にはエツェル(イルグン)やレヒという小規模の過激組織もあった。 大戦後大戦終了後には、ユダヤ人移民促進と国家建設の為に右派のエツェルやレヒと組んで破壊活動を含む反英行動を行ったが、小規模のエツェルやレヒと違い失う物が多く、逆に英国当局の圧力で右派ユダヤ人の拘束に協力した。 独立戦争1948年の第一次中東戦争の直前には、ハガナーの構成員は世界各地からの義勇兵も含めて約75,000名となっていた。1948年5月14日にイスラエルが独立宣言を行うと直ちに第一次中東戦争勃発。戦争勃発後は、ハガナーはユダヤ人側の主力部隊としてアラブ側と交戦。第一次中東戦争停戦期間中の1948年5月28日にイスラエル臨時政府の政令により、エツェルなどの他の組織も含めたイスラエル国防軍が創設。ハガナーも国防軍に再編された。 ハガナーの有力メンバーにはイツハク・ラビン、モシェ・ダヤンなどがいる。なお、右派のアリエル・シャロンはエツェルやレヒではなくてハガナーの出身である。 関連項目外部リンク
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