ナイル・ロジャース
ナイル・ロジャース(Nile Rodgers、1952年9月19日 - )は、アメリカの音楽プロデューサー、ギタリストである。ニューヨーク州出身。音楽IP投資・曲管理会社Hipgnosis Songs Fund(英国)の共同設立者。 略歴幼少の頃よりジャズに親しみ、15歳の時にグリニッジ・ビレッジを拠点に音楽活動を開始する。アポロ・シアターでの音楽監督を経て、1977年に音楽仲間であったベーシスト、バーナード・エドワーズと共に、ファンクバンド、シック(Chic)を結成。ここでは、ソングライターやギタリストとして活躍し、洗練された楽曲と斬新で力強いリズムは評判を呼び、当時隆盛であったディスコの影響も受け、幅広い層から支持を受ける人気バンドとなった。 1980年代からは、バーナードとコンビを組み、デボラ・ハリー(ブロンディ)をはじめとして、プロデューサーとしての活動を開始。メイン・プロデューサーを務めたマドンナのアルバム『ライク・ア・ヴァージン』、デヴィッド・ボウイのアルバム『レッツ・ダンス』がそれぞれ世界中で大ヒットを記録し、以降、ダイアナ・ロス、デュラン・デュラン、ミック・ジャガー等、数々の大物アーティストを手がけ、1980年代の音楽シーンを席巻する名プロデューサーとなった。 1992年には、シックの新作を発表、1996年には、日本で開催された「JTスーパーサウンド」のプロデューサーを務め、成功に導くも、来日していたバーナード・エドワーズが客死するという悲劇に見舞われる。 しかし、映画・ゲームのサウンドトラックや自社レーベルの立ち上げなど、裏方を中心に活動を続ける。2000年代にはグラミー賞の音楽監督を務め、近年では旧友のオマー・ハキムを従え、シックを再結成。各地でツアーを行うなど、精力的に活動している。 2011年1月、ウェブサイトで癌の手術を受けたことを公表した。 2012年、ダフト・パンクのギー・マニュエルとトーマがナイルの自宅に現れ新作アルバムへの協力を依頼。ナイルは快諾した。2013年にリリースされたダフト・パンクの8年ぶりのアルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』内の3曲にギタリストとして参加、先行してシングルカットされた「ゲット・ラッキー」はナイルのカッティング・リフが最大の特徴で30か国以上でチャート1位を記録する世界的なヒットとなり「ルーズ・ユアセルフ・トゥ・ダンス」のミュージック・ビデオにも出演、ナイルを衝撃的な勢いで世界的なミュージック・シーンの表舞台に引き戻すきっかけになった。 2018年に音楽の知的財産権を所有管理する投資会社「Hipgnosis Songs Fund」を Merck Mercuriadisとともに設立した。同社は世界各地で1位を獲ったヒット曲約2000を含む1万3000以上の曲の著作権を所有している。 2024年、ボーイ・ジョージ、アリアナ・デボーズとコラボレートした曲「エレクトリック・エナジー」を映画『ARGYLLE/アーガイル』に提供[1]。 ギタリストとしてカッティングを得意とし、正確で躍動感溢れるリズムと多才なフレージングを特徴としている。ジャズの知識を活かし、3本や4本など少ない弦を使い、曲調に多才な彩を加えるコード・ボイシングは、様々なジャンルのミュージシャンに大きな影響を与えている。 メインギターはストラトキャスター(通称Hitmaker)。このギターはその昔、当時のフェンダー社の修理工員が自宅に持ち帰り組み上げたもので1959年製のネックと少し黄身がかかった白にリフィニッシュした1960年製のボディのコンポーネント仕様。その後幾多のパーツ等がリプレイスメントされボディは傷だらけだが第一線で活躍中である。一時期は東海楽器やESPなど、日本製のギターを使用していたことでも知られる。 その他19歳でミュージシャンとしてデビューする以前、過去に自身が差別に遭った経験から、ブラックパンサー党に在籍し、ハーレム地区に住む貧しい、他の黒人の子供達に朝食を配る活動に携わっていたことがある。 ディスコグラフィソロ・アルバム
サウンドトラック
シック
主なプロデュース作品
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