デクスター・マンリー
デクスター・マンリー(Dexter Keith Manley, 1959年2月2日- ) ニックネームは "Secretary of Defense"(国防長官)[1] はテキサス州ヒューストン出身の元アメリカンフットボール選手。NFLで1981年から1991年までの11シーズン、ワシントン・レッドスキンズ、アリゾナ・カージナルス、タンパベイ・バッカニアーズに所属した。その後CFLのオタワ・ラフライダーズでもプレーした。ポジションはDE。 経歴テキサス州ヒューストンで生まれ育った。地元の高校に進学しアメリカンフットボールに打ち込んだ。その後アメリカンフットボール選手として有望だった彼はオクラホマ州立大学からリクルーティングを受けて進学、奨学金を受けながらカレッジフットボールでプレーした。 1981年のNFLドラフト5巡目全体119番目にワシントン・レッドスキンズに指名されて入団した。レッドスキンズでは9シーズンを過ごしその間に第17回スーパーボウル、第22回スーパーボウルで優勝を味わった。1986年シーズンには18.5サックを記録してプロボウルに選出された。その後フェニックス・カージナルス、タンパベイ・バッカニアーズでもプレーした。 1989年にNFLが実施している薬物テストに3回目の陽性反応が出たため出場停止処分を受けた。その後、4回目の陽性反応が出たため1991年12月12日、NFLから永久追放された[1]。 彼はNFLで通算97.5サック(サックが公式記録となる前の1981年にも6サックを除く)を記録している[2]。 オクラホマ州立大学で4年間学んだにもかかわらず機能的非識字であることが1989年に明らかにされた [3]。 NFLから追放処分を受けた後、カナディアン・フットボール・リーグのオタワ・ラフライダーズで1993年、1994年とプレーした。その後1995年コカインの所持で逮捕された[4]。 2002年にワシントン・レッドスキンズ創立70周年を記念した偉大な70人のレッドスキンズ選手の1人に選ばれている。 2006年6月21日にコロイド嚢胞の疑いから、10時間半に渡り脳の手術を受けている。 脚注
外部リンク
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