セイビアン
セイビアン(英・SABIAN)は、カナダのシンバルメーカー。1981年創業と歴史は浅いものの、ジルジャン、パイステと並ぶ世界3大シンバルメーカーの一角を占める。 概要沿革セイビアンは1981年にロバート・ジルジャンがカナダ・ニューブランズウィック州メダクティックに設立した。ロバートはジルジャン社の社長であったアヴェディス・ジルジャン三世の息子である。1977年、アヴェディス三世がジルジャン家のルールに従って、ジルジャン社の社長に長男のアーマンド・ジルジャンを任命した。しかしこれが後に家庭内の不和を引き起こし、ロバートとアーマンドの実の兄弟の間での法廷闘争に発展した。 調停により、ロバート・ジルジャンはアヴェディス三世が1968年にカナダ・ニューブランズウィック州・メダクティックに設立した「AZCO社」の工場を手に入れる。この工場はKジルジャンシリーズを製造しており、ロバートは責任者を務めていた。そして、この頃にはジルジャン社はトルコでのシンバル製造を終了させていた。 兄弟の争いはこれで終わりとはいかなかった。アーマンドとロバートは、どの工場でKジルジャンシリーズを製造するべきかという点で対立した。ロバートは従来通りカナダ工場で生産すべきと主張したが、ジルジャン社の新社長に就任したアーマンドはエルヴィン・ジョーンズやトニー・ウィリアムスの助言を受け、Kジルジャンシリーズをアメリカで製造するべきだと強く主張した。 アヴェディス三世没後の1979年、ついにアーマンドとロバートの2人で会社を分割するという事態にまで至る。ロバートは、自身が責任者を務めていたカナダ・ニューブランズウィック州・メダクティックの「AZCO社」の工場を手に入れ、シンバル製造を始める。そして会社を分割する際にロバートとアーマンドは、「ロバートが『Zildjian(ジルジャン)』という名前を使わない」「ロバートのシンバルはジルジャンの製品と同じ物であると主張しない」という条件で合意した。そのため、ロバートは新たに発足する企業の社名を、自身の子どもの名前の最初の2文字("Sa"lly、"Bi"ll、"An"dy)の組み合わせから「SABIAN」と命名した。ロバートは創業間もない無名のセイビアンをジルジャン、パイステと並ぶ世界3大シンバルメーカーに成長させ、2013年3月に逝去。現在は末息子のアンディ・ジルジャンが社長を務めている。 ロバートはセイビアン創業後、伝統的なB20ブロンズを採用したシンバルとしてHH(Hand Hammered)とAA(Automatic Anvil)という2つのシリーズの製品群を発売した。その後、より幅広いジャンルの音楽に合ったシンバルとして、HHXシリーズとAAXシリーズを発売した。また、ジャック・ディジョネットやフィル・コリンズ、ニール・パート、テリー・ボジオ、デイヴィッド・ガリバルディ、ジョジョ・メイヤー、エド・シグペンなど、特定のドラマーの要望に応えたシグネチャー・モデルも開発、発売している。セイビアンとジルジャンがシンバル製造に使用しているブロンズは同じものだが、セイビアンは数々のドラマーのシグネチャー・モデルを開発、発売するなど、ジルジャンに比べてそれぞれ音色が違う多様な製品ラインナップを揃えている。 製品ラインドラムセット向けB20キャスト・ブロンズ製・AA B8シート・ブロンズ製・B8X ブラス製・SBr オーケストラ、ドラム・コー向けB20キャスト・ブロンズ製・AA B8シート・ブロンズ製・B8X ブラス製・SBr SABIAN Custom Shop以上の既製品を販売するほかに、シンバル全体の傘の開き方や、カップの大きさ、レイジングの種類などを指定して、独自のシンバルを発注できる「SABIAN Custom Shop」というサービスも提供している。[2] 主なエンドーサー海外
日本国内パール楽器製造が日本国内でセイビアンの代理店となっている関係から、パールドラムの国内のエンドーサーはほとんどがセイビアンのシンバルを使用している。
など 脚注注釈・出典
外部リンク
|