ジーク・スプライル
エジキエル・スティーブン・スプライル(Ezekiel Stephen Spruill, 1989年9月11日 - )は、アメリカ合衆国・バージニア州チェサピーク出身のプロ野球選手(投手)。右投右打[2][注 1]。CPBL所属時の登録名は「史博威」。現在はFA。 本来は「スプライル」ではなく「スプルール」("SPROO-l")と読むのが正しい[3]。この場合の「~ui」は前の音をそのまま伸ばす発音となる。 経歴プロ入りとブレーブス傘下時代2008年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから2巡目(全体70位)指名され、6月12日に契約した。この年は傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ブレーブスでプレー。 2009年はA級ローム・ブレーブスでプレー。夏期にはルーキー級ガルフ・コーストリーグでプレーした。 2010年はA+級マートルビーチ・ペリカンズでプレー。この年もガルフ・コーストリーグでプレーした。 2011年はA+級リンチバーグ・ヒルキャッツでプレー。8月にAA級ミシシッピ・ブレーブスへ昇格した。 2012年はAA級ミシシッピで27試合に登板し、9勝11敗・防御率3.67だった。オフの11月20日に40人枠入りを果たした[4]。 ダイヤモンドバックス時代2013年1月24日にクリス・ジョンソン、ジャスティン・アップトンとのトレードで、マーティン・プラド、ランドール・デルガド、ブランドン・ドルーリー、ニック・アーメドと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[5]。傘下のAA級モービル・ベイベアーズで開幕を迎え、6月21日にメジャー初昇格を果たした。同日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。4点リードの6回表から登板し、1回を投げ1安打無失点1奪三振だった。6月28日にAAA級リノ・エーシズへ降格した[6]。8月1日に再昇格[7]。同日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャー初先発を果たしたが、4回を投げ7安打5失点で初黒星を喫し、8月11日のニューヨーク・メッツ戦では3回を投げ6安打5失点と結果を出せず、翌日AAA級リノへ降格した[8]。この年は6試合に登板し0勝2敗・防御率5.56だった。 2014年3月3日にダイヤモンドバックスと1年契約に合意した[9]。3月9日にAAA級リノへ異動した[10]。5月25日にダブルヘッダーで登録枠が拡大されたため昇格し[11]、同日のニューヨーク・メッツ戦・2試合目に登板したが、5.1回を10安打3失点と打ち込まれ、翌日にAAA級リノへ降格した。6月25日に再昇格し[12]、同日のクリーブランド・インディアンス戦でリリーフとして6回から登板したが、3安打2失点と結果を残せず、翌日AAA級リノへ降格した[13]。9月9日に再昇格した[3]。9月14日のサンディエゴ・パドレス戦では1点リードの5回表から登板し、3回を1安打無失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた。この年は6試合に登板し、1勝1敗・防御率3.57だった。オフの12月8日にDFAとなった[14]。 レッドソックス傘下時代2014年12月12日にマイルス・スミスとのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[15]。 2015年は、40人枠には入ったものの昇格しないまま7月3日にDFAとなった。6日に傘下のAAA級ポータケット・レッドソックスに異動した。11月第1回WBSCプレミア12にアメリカ合衆国代表として出場した[16]。グループリーグの韓国戦で6回無失点と好投したものの、勝利投手にはなれなかった。準決勝のメキシコ戦では5回1失点と好投し、勝利投手となった。 起亜タイガース時代プレミア12での好投が評価され、2015年12月2日に韓国プロ野球の起亜タイガースと契約。2016年、起亜での登録名は「ジーク」。シーズンでは10勝を記録したが、同時に13敗とリーグ最多敗戦投手となるなどムラが大きく、同年限りで退団となった。 Lamigoモンキーズ時代2017年2月15日、台湾のLamigoモンキーズと契約。同年限りで退団。 レンジャーズ傘下時代2017年12月21日に、テキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[3]。 Lamigoモンキーズ復帰2018年4月10日、台湾のLamigoモンキーズに復帰[17]。 2019年5月20日、不振により解雇された。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
タイトル・表彰
背番号
代表歴脚注
注釈関連項目外部リンク
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