ジンギスカン (曲)
ジンギスカン(ドイツ語: Dschinghis Khan)は、西ドイツの音楽グループ・ジンギスカンの楽曲。 概要楽曲『ジンギスカン』は作曲家のラルフ・ジーゲルと、作詞家のベルント・マイヌンガーによって企画されたものであり、同名の音楽グループ「ジンギスカン」のデビュー曲である[1][2][3]。 この楽曲の誕生は1978年の秋[2]。ジーゲルは1979年のユーロビジョン・ソング・コンテストに出場するための楽曲制作に取り組むこととなり、友人のマイヌンガーと相談する中でいくつか生み出されたアイディアの1つが『Dschinghis Khan(ジンギスカン)』であった[2]。ヨーロッパ人にとって残虐なイメージのあるチンギス・カンをモチーフとした楽曲を制作した裏側には、1978年にボニーMがリリースしたグリゴリー・ラスプーチンをモチーフとした『Rasputin(怪僧ラスプーチン)』からインスパイアを受けたことに加えて[3]、国際コンクールの舞台で多国籍の観衆が理解できることを狙ったものであった[1][2]。ジーゲルは自ら歌ったデモ音源で予備審査にエントリーし、自ら送付した「この楽曲は“ジンギスカン”という名のグループによって歌われるだろう」と書いた手紙の効果もあり、1978年の年末までに国内予選への出場が認められる[1][2]。1979年1月末、3月の国内予選まで6週間となった頃にジーゲルはグループのメンバー選考を開始する[2]。2週間のうちに15人と面談し、予選の5週間弱前には6人のメンバーが決定したが、残された時間は十分とは言えず各分野の専門家も召集された[2]。 迎えた1979年3月17日の国内予選では、一番最初に『ジンギスカン』が披露された[2]。予選が進むにつれ順位は変動したが、1位の『ジンギスカン』は不動のまま予選は終了し、エルサレムで行われる本選への進出が決定する[2]。3月31日の本選では4位であったが、コンテストの様子は欧州18か国に生中継されており、クセになる楽曲や風変わりなビジュアルのインパクトで話題となる[1][3]。 ジュピターレコードからシングルがリリースされるとドイツ国内で50万枚を売り上げ[2]、4週にわたりチャート1位を獲得した。当時は世界的にディスコブームが到来していたこともあり世界的にヒットし、日本ではリリース前からディスコでは定番となり[3]、リリース後はオリコン洋楽シングルチャートで1979年8月6日付から5週連続1位を獲得した。 オリジナルのドイツ語版と同年に英語に翻訳したレコードもリリースされており、英詞への翻訳はジンギスカンメンバーのスティーヴ・ベンダーが担当した。 ジンギスカンは1985年に解散したが2005年に再結成、2007年に正式に活動再開するとともにリリースしたアルバム『7 Leben』で『ジンギスカン』をセルフカバーしている。 収録曲【 】は邦題。
チャート
カバー・影響などジンギスカン自身によるドイツ語・英語のほかに、各国のアーティストによってフィンランド語・日本語・スウェーデン語など多数の言語に翻訳されてカバーされている。 フレデリクによるカバー
フィンランドの歌手・フレデリクは、1979年のアルバム『Tsingis Khan』の中で「Tsingis Khan」のタイトルでカバーしている。このアルバムはフィンランドのシングルチャートで最高14位となり、ゴールド認定を受けている。 フィンランド語の訳詞はユハ・ヴァイニオによる。ジーゲルはフレデリクによるカバーを気に入っており、後にジンギスカンの3枚目のシングル『Hadschi Halef Omar』のカバーも自ら提案し、1980年に『Sheikki Ali Hassan』のタイトルでリリースされた[11]。 Berryz工房によるカバー
日本の女性アイドルグループ・Berryz工房は、2008年3月12日にリリースした16枚目のシングルで『ジンギスカン』をカバーした。同曲の日本語カバーはこれ以前にも複数存在しており訳詞も複数存在するが、本作では山本伊織によるものを採用している。 初回生産限定盤には「ジンギスカン (Dance Shot Ver.)」を収録したDVDが付属している。カップリングの『ダーリン I LOVE YOU』は℃-uteとの競作で、℃-ute Ver.は同グループ9枚目のシングル「涙の色」に収録。 この楽曲は、日本国内の『ジンギスカン』のカバーとしては最高位となるオリコン5位を記録し、これを受けて本家ジンギスカンとBerryz工房のスプリット盤シングル『ジンギスカン タルタルミックス』が企画される[13]。
ジンギスカンだらけジンギスカン×Berryz工房『ジンギスカン タルタルミックス』の制作に続いて、各国のカバー曲を集めたコンピレーション・アルバムが企画される[13]。発売日は2008年11月26日[14]。全20曲収録[14]。
その他のカバー例前述したように日本語では、原盤と同じ1979年に山本伊織や浅川佐記子による訳詞が誕生した。他の訳者による訳詞も含めて無数のカバー楽曲が生まれており、前述の『ジンギスカンだらけ』未収録されておらず、レコードやCDに収録されたものとしては以下が存在する。
原盤と同じ1979年には、日本語以外の言語での翻訳カバー楽曲も誕生しており、前述したフレデリクのフィンランド語版以外に以下の例が存在する。
またジンギスカンのメロディに、無関係な歌詞を付けた楽曲も存在している。
その他の日本でのトピックスアーティストによるカバーではレコードやCDでリリースされていなくとも、ライブやコンサートの演目としてカバーされることもあり、その例として米米CLUB(1991年5月2日、有明コロシアム)、SMAP(1999年ツアー“BIRDMAN”)が挙げられる。 スポーツなどの応援に使用される例もみられる。上記した『成吉思汗 〜ドイツへ行こう』は、2006年のドイツワールドカップのアジア最終予選に合わせて、サポーター集団のウルトラス・ニッポン名義でCDがリリースされたものである[24]。サッカー以外のプロスポーツでは北海道日本ハムファイターズ(日本プロ野球)や仙台89ERS(プロバスケットボールBリーグ)の応援の1つに『ジンギスカン』のダンスが採用されており[25][26]、アマチュアでも神村学園高等部など日本の高校野球の応援歌としての採用例もある[27]。 その他、テレビCMのBGMとして使用される例もみられる。2003年にはドラマ『ウォーターボーイズ』の挿入歌としても使用された[28]。 2000年1月26日に発売されたモーニング娘。の『恋のダンスサイト』のモチーフとして『ジンギスカン』が挙げられており、同年の5月24日には『ジンギスカン』が日本でシングルCDとして再発された[29]。 2005年に『めざせモスクワ(Moskau)』が空耳ソング「もすかう」として話題になると、インディーズからリリースされた「もすかう」のカップリングとして『ジンギスカン』も収録された。 脚注
外部リンク |