1849年6月14日、ユト族酋長ワルカラとソウィートがソルトレイク・バレーに行って、モルモン教指導者ブリガム・ヤングに、南約125マイル (200 km) のサンピッチのバレーにモルモン教徒を入植させてくれるよう求めた[5]。ヤングはその要請に応えることと、急速に成長しているソルトレイクの人口を収容する新しい開拓地を見つける必要性があったので、その年8月にその地域を探検する集団を送った。そこは開拓に適していることが分かり、アイザック・モーリーに50組ほどの家族を連れて南に移動し、「サンピート」に入植することを要求した[6]。
サンピート郡の東側はワサッチ高原(マンタイ山脈と呼ばれたことがあった)に仕切られている。ワサッチ高原は標高約11,000フィート (3,300 m) にもなる。その大半はマンタイ・ラ・サル国立の森のマンタイ地区で覆われている。この山脈の西側斜面から流れ落ちる水が郡内の都市部や農業地帯に供給されている。郡中央部はサンピート・バレー(サンピッチ・バレーと呼ばれたこともあった)であり、そこに郡内の町の大半がある。このバレーの西端は低く乾燥したサンピッチ山脈であり、郡の西境界にもなっている。郡内を南北に流れるサンピッチ川郡南西部でセビア川に合流している。セビア川バレーのこの辺りは、ガニソン・バレーと呼ばれている。
^Albert C.T. Antrei and Allen D. Roberts, A History of Sanpete County (Salt Lake City: Utah State Historical Society, Sanpete County Commission), 1999, 24.
^ abAlbert C.T. Antrei and Allen D. Roberts, A History of Sanpete County (Salt Lake City: Utah State Historical Society, Sanpete County Commission, 1999), 25.