サッカーカメルーン代表 (サッカーカメルーンだいひょう、英 : Cameroon national football team , 仏 : Équipe du Cameroun de football )は、カメルーンサッカー連盟 (FECAFOOT)によって構成される、カメルーン のサッカー のナショナルチーム である。愛称は不屈のライオン (フランス語 : Les Lions Indomptables , 英語 : The Indomitable Lions )。
歴史
FIFAコンフェデレーションズカップ2017 の対オーストラリア 戦
1982年ワールドカップ
初出場の大会でグループリーグ2戦を終えた時点でいずれもスコアレスドローだったものの、4チームが2引き分けで並んだため最終戦となるイタリア 戦に決勝トーナメント進出がかかっていたが1-1で引き分け、最終戦でペルー に5-1と大勝したポーランド と同じく3引き分けながら2得点を挙げていたイタリアの成績を上回れず、3位でグループリーグ敗退となった。
1990年ワールドカップ
2大会ぶりの出場となったが、開幕戦では前回優勝チームのアルゼンチン と対戦して61分と89分に退場者を出しながらも1-0で勝利、続くルーマニア 戦では、当時のカメルーン大統領・ポール・ビヤ からの直接の要請を受けて現役復帰したロジェ・ミラ が2ゴールを挙げ連勝、3戦目、1988欧州選手権 準優勝のソ連 戦では0-4と大敗したものの、結局グループB1位で決勝トーナメントに進出した。ベスト16のコロンビア 戦は延長にもつれ込むが、再びミラが2得点を挙げ2-1で勝利した。準々決勝では一旦イングランド を相手に2-1でリードしながらもPKをゲーリー・リネカー に決められ2試合連続の延長戦となり、延長で再びリネカーのゴールで2-3で敗れるが、アフリカ勢としては初のベスト8入りを達成しアフリカ史上唯一となる1大会での3勝を記録している(いずれも当時)。なお、「カメルーン旋風」は大会の話題のひとつとして記憶され、ナイジェリア やセネガル 、ガーナ 、コートジボワール といった西アフリカ 勢を先導する出来事となった。
1994年ワールドカップ
グループリーグ初戦でスウェーデン と2-2で引き分けるも、2戦目のブラジル に0-3で敗れ3戦目のロシア 戦では、当時42歳だったミラがワールドカップ最高齢選手によるゴール(2023年現在も最高齢記録)を記録しながらも1-6と大敗を喫し、1分2敗のグループ最下位で大会を終えた。
1998年ワールドカップ
サミュエル・エトー が同大会の全参加選手中最年少となる17歳3か月で代表に選ばれ注目されたが、初戦のオーストリア 戦、3戦目のチリ 戦にいずれも1-1で引き分けたものの、2戦目のイタリア戦で0-3で敗れたことが響いたため2分1敗で最下位となり、グループリーグ敗退となった。
2002年ワールドカップ
4大会連続の出場となり、日本 では1997 -1998年シーズン までガンバ大阪 に所属していたパトリック・エムボマ が代表に選ばれたという点でも注目されていた。大分県 日田郡 中津江村 (当時:現在の日田市 中津江村)をキャンプ地としていたが、到着が遅れたことでカメルーン代表は中津江村とともに日本で一躍有名になった。この時の村民への恩義もあり、日本で試合を行なった際に同じ大分県で2002 FIFAワールドカップ の会場でもあった大分市 の九州石油ドーム を使用した。8年後、2010年の南アフリカ大会で日本とカメルーンが対戦した際も、旧中津江村では住民がカメルーンを応援するなど今でも互いに親しい関係にある。グループリーグでは初戦でアイルランド に1-1で引き分け、続くサウジアラビア 戦に1-0で勝利し2試合終了時点で1勝1分、得失点差でドイツ に次ぐ2位となっていたものの最終戦のドイツ戦に0-2で敗れ、サウジアラビアに3-0で勝利したアイルランドにも逆転され3位となり、3大会ぶりの決勝トーナメント進出を逃した。
2010年ワールドカップ
グループリーグ・E組に入ったカメルーン代表は初戦で日本 と対戦したが、前半39分、本田圭佑 にゴールを決められ0-1で敗れた。続くデンマーク との対戦では1-2と逆転負けを喫し、これにより1戦を残したままカメルーンのグループリーグ敗退が決定した。最終戦ではオランダ と対戦するも1-2で敗れ、ワールドカップ4連敗となり南アフリカを去っていった。
2014年ワールドカップ
開催国のブラジル と同じグループAに入り、同年6月1日に行われた親善試合では優勝候補の一角であるドイツに2-2で引き分けるなどしていたものの[ 2] 同月8日、首都のヤウンデ からブラジルに移動する直前になって、選手たちがカメルーンサッカー連盟の提示するボーナスが希望に満たない額であることを理由に飛行機への搭乗を拒否したため[ 3] 、交渉がまとまったため翌9日には出発したが[ 4] 、同月13日の初戦のメキシコ 戦ではオリベ・ペラルタ からゴールを許し、0-1で敗戦した。続く同月18日のクロアチア 戦ではエースのエトーが右膝痛により欠場、さらに先制点を許した後の前半40分にアレクサンドル・ソング がボールに無関係な場所でのマリオ・マンジュキッチ に対する肘打ちをしてレッドカード で一発退場となり、10人となった後半に3点を許し0-4で敗れ2連敗を喫してしまい、グループリーグ最終戦のブラジル戦を残したままカメルーンのグループリーグでの敗退が決まった[ 5] 。迎えた3戦目のブラジル戦では17分にネイマール から先制ゴールを許すと、さらに26分には今大会チーム初ゴールとなるJ・マティプ のゴールで一旦同点に追いついたが34分に再びネイマールのゴールで突き放され、後半にもフレッジ 、フェルナンジーニョ にゴールを決められ、1-4で敗戦した[ 6] 。これにより、2大会連続のグループリーグ3連敗を喫したことから2002年大会グループリーグ最終戦ドイツ戦での敗戦から通算してワールドカップ本大会7連敗となった。
2022年ワールドカップ
4月1日にカタール の首都 ・ドーハ で行われた組み合わせ抽選会でカメルーン代表はブラジル、スイス 、セルビア と同じグループG に入った。グループリーグ初戦のスイス 戦では48分にブレール・エンボロ のゴールで失点を喫して0-1で惜敗し、これによりW杯連敗記録が「8」にまで伸びてしまった[ 7] 。第2戦のセルビア 戦ではスイス戦でも守護神を務めたアンドレ・オナナ がリゴベール・ソング 監督と対立したため、メンバー外となってしまった。試合でも前半に先制したものの前半終了間際に逆転されるなど一時は2点のリードをされたものの、途中出場したヴァンサン・アブバカル が華麗なループシュートを含む1G1Aの活躍を魅せたことで3-3で引き分けにもつれ込み、 2002年大会 から続いた連敗記録を8で止めた[ 8] 。第3戦ではFIFAランキング1位のブラジル と対戦した。終始守り続けたが失点を許すことはなく0-0で迎えた試合終了間際にアブバカルのヘディングシュートが決まり優勝候補の一角でもあるブラジルに勝利した。この勝利でブラジルに勝った初めてのアフリカ勢となった。カメルーンのグループリーグ突破はならなかったものの、有終の美で大会を去っていった[ 9] 。
成績
FIFAワールドカップ
FIFAコンフェデレーションズカップ
アフリカネイションズカップ
オリンピック
歴代監督
歴代選手
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク