コートリーディー
コートリーディー(欧字名:Courtly Dee、1968年3月8日 - 1995年8月)は、アメリカ合衆国の競走馬。 競走馬としては目立った戦績は残せなかったが、繁殖入り後にAli OopとAltheaの2頭のG1馬を輩出。1983年にはアメリカ年度代表繁殖牝馬に選ばれた[3]。牝系は大きく発展し、アメリカだけでなく日本でも子孫から重賞勝利馬がでている。 生涯ケンタッキー州のドナルド・アンガーによって生産され、1歳時に1969年のキーンランド9月セールで13,000ドルでホルムヒルステーブルに売却された。バッド・レップマンが調教を担当し、2歳時はレースに出走せず3歳でデビューした[1]。 3歳時は下級条件のレースで3勝を挙げたが、4歳時はシーズン初戦から11連敗を喫し、クレーミング競走に参加したのち15,000ドルでマーティ・ファロンに売却された[1]。その後3レースに出走したが勝利を挙げることはできず、リー・イートンとレッドブル・ステーブルに売却され繁殖入りした[1]。 繁殖入り後、7頭の仔馬を出産し、そのうち3頭がステークス競走を勝利した。その後、1980年のキーンランド11月ミックスセールでヘレン・グローヴ、ヘレン・アレクサンダー、デーヴィッド・エイクロイドの3名の共同保有者に900,000ドルで売却された[4][1]。その後さらに11頭の仔馬を生み、最後の仔馬の誕生から3年後の1995年8月に亡くなった[1]。 繁殖成績(産駒一覧)生涯で18頭出産し、そのうち16頭が勝ち上がった。また3頭が種牡馬・繁殖牝馬として日本に輸入されている。
主なファミリーライン牝系図の主要な部分(太字はG1級競走優勝馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。
牝系図の出典:Galopp-Sieger 血統表
脚注
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