グナエウス・コルネリウス・レントゥルス (紀元前146年の執政官)
グナエウス・コルネリウス・レントゥルス(ラテン語: Gnaeus Cornelius Lentulus、生没年不詳)は紀元前2世紀中頃の共和政ローマの政治家。紀元前146年にコンスル(執政官)を務めた。 出自レントゥルスはエトルリアに起源を持つパトリキ(貴族)であるコルネリウス氏族の出身であるが、コルネリウス氏族はローマでの最も強力で多くの枝族を持つ氏族でもあった[1][2]。レントゥルスのコグノーメン(第三名、家族名)が最初に確認できる人物は、紀元前327年の執政官ルキウス・コルネリウス・レントゥルスであるが、コルネリウス氏族の他の枝族との関係は不明である[3]。 カピトリヌスのファスティによるとレントゥルスの父のプラエノーメンはグナエウス、祖父はルキウスである[4]。同名の父グナエウス・コルネリウス・レントゥルスは紀元前201年に、祖父ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・カウディヌスは紀元前237年に執政官を務めた。紀元前156年に執政官を務めたルキウス・コルネリウス・レントゥルス・ルプスは兄弟である。 経歴紀元前161年、ントゥルスはプブリウス・アプスティウスと共に、キューレーネーへ特使として派遣された。この使節団の任務は、エジプトのファラオプトレマイオス7世に対し、ローマはプトレマイオス6世との関係を断絶すると報告することであった[5][6]。 紀元前149年にプラエトル(法務官)に就任。紀元前146年には執政官に就任した。同僚のプレブス(平民)執政官はルキウス・ムンミウスであった[7]。くじ引きの結果←、ムンミウスがアカエア戦争を指揮することとなり、そこで彼は大勝利を得る[8]。また、この年に第三次ポエニ戦争が終結し、カルタゴは滅亡した。建国から672年目のことであった[9]。同年、ムンミウスはコリントスを破壊したが、こちらはヒッポテースの子アレーテースによる建国から952年目のことであった[10]。カルタゴに勝利したスキピオ・アエミリアヌスは「アフリカヌス」、アカイアに勝利したムンミウスは『アカイクス』のアグノーメン(愛称)を得た。ムンミウスは父祖に高位の公職者を持たず、執政官に就任したノウス・ホモであったが、ノウス・ホモの人物が戦争の勝利を記念するアグノーメンを得たのは、これが最初であった[10]。 子孫紀元前97年の執政官グナエウス・コルネリウス・レントゥルスは息子である。 脚注
参考資料古代の資料
研究書
関連項目
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