ガーンジー郡 (オハイオ州)
ガーンジー郡(英: Guernsey County)は、アメリカ合衆国オハイオ州の西部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は40,087人であり、2000年の40,792人から1.7%減少した[2]。郡庁所在地はケンブリッジ市(人口10,635人[3])であり、同郡で人口最大の都市でもある。 ガーンジー郡はその全体でケンブリッジ小都市圏を構成している。郡名はイギリス海峡に浮かぶガーンジー島に因んで名付けられた。この島から多くの初期開拓者が移って来ていた。 歴史ガーンジー郡はアパラチア山脈の麓丘陵部にあり、1810年にマスキンガム郡から分離して設立・組織化された。最初の郡域は広かったが、その後の隣接郡の創設によって狭くなり、1851年に現領域が確定した。 ガーンジー郡はガーンジー島レ・デュヴォー出身のトマ・オジエによって名付けられた。ナポレオン戦争のとき、ガーンジー島にはロシア兵6,000人が駐屯した。ロシア軍は食料が十分ではなかったので、窃盗に走ることも多く、地元民とロシア兵の間ではかなりの摩擦が生じた。ある日の午後、自分の畑で鳥を撃っているときに、オジエは彼の果樹園でリンゴを盗んでいたロシア兵と遭遇した。オジエは散弾銃でロシア兵を撃ち、ロシア兵はリンゴを落として逃亡した。オジエはその兵士が逃げる際に乗り越えた壁に血痕を認めたが、大したことではないと考えた。その日遅く、オジエはその兵士が兵舎で死亡し、オジエのことを上官に伝えていたことを知った。 オジエは報復を恐れ、先ずジャージーに逃げ、その後フランスに渡り、さらにアメリカ合衆国に行く船に乗った。東海岸で暫く過ごした後、1808年にそこから西の、現在のオハイオに移住した。ここでいくらかの成功を収めた後、故郷のガーンジーに手紙を書いて、島民に移民を奨励した。現在のケンブリッジの町でガーンジーから移ってきた初期移民集団と合流した。オジーアが放浪していた間に家族の揺り籠を携行してきており、これが現在はアメリカン・レジオンのケンブリッジ支部に収蔵されている[4][5]。 地理アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は528.30平方マイル (1,368.3 km2)であり、このうち陸地522.25平方マイル (1,352.6 km2)、水域は6.05平方マイル (15.7 km2)で水域率は1.15%である[6]。 隣接する郡
人口動態
郡区ガーンジー郡は下記19の郡区に分割されている。
都市村
未編入の町
脚注
外部リンク
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