ガイウス・ナウティウス・ルティルス (紀元前287年の執政官)
ガイウス・ナウティウス・ルティルス(ラテン語: Gaius Nautius Rutilus 、生没年不明)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家。紀元前287年に執政官(コンスル)を務めた。 出自ルティルスはパトリキ(貴族)であるナウティウス氏族の出身である。父は、紀元前316年の執政官スプリウス・ナウティウス・ルティルスと思われる。ナウティウス氏族からはルティルス含め5人の執政官が出ているが、ルティルスが最後である。おそらく紀元前256年の執政官マルクス・アティリウス・レグルスのトリブヌス・ミリトゥム(高級幕僚)であったナウティウスはルティルスの息子であるが、カルタゴとの海戦を拒否した[1]。この臆病さが家名を傷つけたと思われる[2]。 経歴紀元前287年、ルティルスは執政官に就任。同僚執政官はマルクス・クラウディウス・マルケッルスであった。ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』のこの部分は本文が欠落しており、要約にもマルケッルスのことは触れられていない[3]。この年にはプレブスの債務問題が深刻となり、それを解決するためにクィントゥス・ホルテンシウスが独裁官に選ばれた。ホルテンシウスはホルテンシウス法を制定し、パトリキ(貴族)とプレブス(平民)の法的な平等が実現され、両身分の間で200年間続いた身分闘争は終結した。 脚注参考資料
関連項目
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