ガイウス・セルウィリウス・トゥッカ(ラテン語: Gaius Servilius Tucca、生没年不明)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家。紀元前284年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
パトリキ(貴族)であるセルウィリウス氏族の出身であるが、カピトリヌスのファスティのこの部分は欠落しているため、父および祖父のプラエノーメン(第一名、個人名)は不明であり、他のセルウィリウス氏族の人物との関係も不明である[1]。トゥッカというコグノーメン(第三名、家族名)はエトルリアに起源を持つと思われるが、彼以外は歴史に現れない。トゥッカは紀元前3世紀中頃に三度執政官を務めたクィントゥス・セルウィリウス・アハラと、第一次ポエニ戦争時代以降に活躍するセルウィリウス・カエピオ家とセルウィリウス・ゲミヌス家の間の迷子石的な存在である[2]。
経歴
紀元前284年、トゥッカは執政官に就任。同僚執政官はルキウス・カエキリウス・メテッルス・デンテルであった[3]。ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』のこの部分は本文が欠落しており、要約にもトゥッカ自身の活動は記されていない[4]。ポリュビオスによれば、アレティウムの戦いでメテッルス・デンテルが戦死したとするが[5][6]、リウィウスの要約では翌紀元前283年のこととされている[7]。
脚注
- ^ T. Robert S. Broughton: S. 187f
- ^ Friedrich Münzer: Servilius 88) Sp. 1810
- ^ Der Neue Pauly, Stuttgardiae 1999, T. 12/1, c. 1099
- ^ リウィウス『ローマ建国史』、 XI
- ^ ポリュビオス『歴史』、2,19,8.
- ^ オロシウス『異教徒に反駁する歴史』3:22, 13f.
- ^ リウィウス『ローマ建国史』、 XII
参考資料
- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』
- ポリュビオス『歴史』
- オロシウス『異教徒に反駁する歴史』
- T. Robert S. Broughton: The Magistrates Of The Roman Republic. Vol. 1: 509 B.C. - 100 B.C.. Cleveland / Ohio: Case Western Reserve University Press, 1951. Reprint 1968
- Friedrich Münzer: Servilius 88) . In: Pauly's Realencyclopädie of Classical Archeology . Second row. Volume II, 2nd Fourth Halfband. Selinunte - Sila . (RE II A, 2) Stuttgart: JB Metzlersche Verlagsbuchhandlung, 1923
関連項目