オーシャン (装甲艦)
オーシャン (HMS Ocean) はイギリス海軍のプリンス・コンソート級(Prince Consort)装甲艦の最終艦である。中国艦隊に配属され、幕末・明治維新期の日本に来航した。 艦歴プリンス・コンソート級装甲艦は、もともとブルワーク級戦列艦(Bulwark class)として設計された。フランスが装甲艦ラ・グロワールを建造すると、英国はその対抗策として本格的な装甲艦「ウォーリア」の建造を始めたが、それに加えて竣工前のブルワーク級戦列艦を装甲艦に改造した。これがプリンス・コンソート級である。英国海軍では搭載する大砲の数によって艦種の分類を行っているため、戦列艦(2等艦)と同じ船体を使用しているものの、プリンス・コンソート級の正式艦種はフリゲート(5等艦)となる。しかしながら、装甲を施した戦列艦ということで戦艦とされる場合もある。 「オーシャン」は当時の英国海軍の戦列艦の常として、最初はドーバー海峡艦隊に配属されたが、直ちに地中海艦隊に転属となった。そこからさらに、極東艦隊へと異動となった。ジブラルタルから香港へ航行中の1867年8月23日、「オーシャン」は帆走だけで453海里(839 km)を航行したが、これは英国海軍装甲艦の最長帆走記録であった。「オーシャン」は1867年10月27日にバタビアに到着した。 1867年から1872年までは中国艦隊に所属した。1868年1月1日の兵庫開港時には、僚艦11隻(他に、米国軍艦5隻、フランス軍艦1隻)と共に神戸沖に停泊し、幕府へ兵庫開港を予定通り実施するように圧力をかけている。「オーシャン」が兵庫沖に停泊中に鳥羽・伏見の戦いが発生し、戦いに敗れた徳川慶喜はアメリカ軍艦イロコイに一時退避している。 「オーシャン」は幕末期に来航した各国海軍の艦艇の中では最大のものであった。 英国への帰途は蒸気機関を用い、平均速力4.5ノットを出している。英国帰還後、売却されるまでドックにあった。 参考
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