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オリヴァー・グラスナー

オリヴァー・グラスナー
フランクフルト監督時代(2022年)
名前
ラテン文字 Oliver Glasner
基本情報
国籍  オーストリア
生年月日 (1974-08-28) 1974年8月28日(50歳)
出身地 ザルツブルク
身長 181cm
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-2011 オーストリアの旗 SVリート 516 (27)
2003-2004 オーストリアの旗 LASKリンツ (loan) 3 (0)
通算 519 (27)
監督歴
2014-2015 オーストリアの旗 リート
2015-2019 オーストリアの旗 LASKリンツ
2019-2021 ドイツの旗 ヴォルフスブルク
2021-2023 ドイツの旗 フランクフルト
2024- イングランドの旗 クリスタル・パレス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

オリヴァー・グラスナー(Oliver Glasner、1974年8月28日 - )は、オーストリアザルツブルク出身の元プロサッカー選手、同指導者。現役時代のポジションはディフェンダー

選手経歴

SVリート選手時代(2009年)

現役時代はLASKリンツへの1年のローン期間を除いては、全て母国のSVリートで活躍。最終的にはキャプテンとなり、2011年にはクラブ史上2度目のオーストリア・カップ制覇に貢献。この年を限りに現役を引退した。引退の際には長きに渡るクラブでの活躍を認められ、クラブの終身名誉キャプテンに就任した[1]

指導者経歴

現役時代にサッカー選手の活動と並行してハーゲン通信大学に通い経営学の修士号を取得していたため、引退直後にレッドブル・ザルツブルクの経営部門に就職したが、クラブのスポーツダイレクターであったラルフ・ラングニックにかけられた言葉をきっかけに指導者への転身を決意。ロガー・シュミット監督の下でコーチを務めることになった。

2014年に古巣リートからオファーを受け、監督に就任。監督初年度にリーグ6位とまずまずの結果を残すと、2015年にはこれまた古巣のリンツのオファーを受けて監督に就任。当時2部リーグに沈んでいた古豪を2年で昇格させると、3年目には1部リーグ4位と躍進。翌年にはこれを上回ってリーグ2位という成績を残し、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ予選の出場権を獲得した[1]

2019年4月23日、VfLヴォルフスブルクの監督に就任することが発表[2]2020-21シーズンにはリーグ4位の好成績を収め、UEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。しかし同期をもって退任。

2021年5月27日、アイントラハト・フランクフルトの監督に就任[3]UEFAヨーロッパリーグではベティス、FCバルセロナ、ウエストハムなどを退け決勝に進出、決勝でもレンジャーズFCを破り42年ぶりの優勝に導いた。

2023年6月、フロントとの相違があり[4]、2022-23シーズンをもってフランクフルト監督を退任した[5]

2024年2月20日、プレミアリーグに所属していたクリスタル・パレスFCの新監督に就任した[6]

エピソード

  • 試合中の競り合いで頭を強打し、硬膜下出血を起こして緊急手術を余儀なくされたことが現役引退に繋がった。出血に気づいたのは試合翌週のヘディング練習時だったとのことで、本人は「死んでもおかしくなかった。(ヘディング練習で異常に気づけたことで)サッカーが命を救ってくれた」と述べている[1]

監督成績

2023年6月30日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
リート オーストリアの旗 2014年5月12日 2015年5月25日 37 13 7 17 52 54 −2 035.14
LASK オーストリアの旗 2015年7月1日 2019年7月1日 161 94 32 35 308 173 +135 058.39
ヴォルフスブルク ドイツの旗 2019年7月1日 2021年6月30日 87 41 22 24 146 110 +36 047.13
フランクフルト ドイツの旗 2021年7月1日 2023年6月30日 97 38 30 29 146 137 +9 039.18
合計 382 186 91 105 652 474 +178 048.69

タイトル

選手時代

SVリート

指導者時代

LASKリンツ
  • オーストリア・ブンデスリーガ2部 :(2016-17)
アイントラハト・フランクフルト

脚注

外部リンク

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