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エンジェル・エチェバリア

エンジェル・エチェバリア
Angel Echevarria
ブルワーズでの現役時代(2001年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 コネチカット州フェアフィールド郡ブリッジポート
生年月日 (1971-05-25) 1971年5月25日
没年月日 (2020-02-07) 2020年2月7日(48歳没)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1992年 MLBドラフト17巡目
初出場 MLB / 1996年7月15日
NPB / 2003年3月28日
最終出場 MLB / 2002年9月29日
NPB / 2004年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

エンジェル・サントス・エチェバリア英語: Angel Santos Echevarria, 1971年5月25日 - 2020年2月7日)は、アメリカ合衆国コネチカット州フェアフィールド郡ブリッジポート出身のプロ野球選手外野手)。右投右打。

経歴

1992年MLBドラフト17巡目(全体487位)コロラド・ロッキーズから指名され、プロ入り。

1994年8月から1995年4月にかけてMLB史上最長のストライキが実施された影響で、1995年のスプリングトレーニングにはオーナー側の命令で代替選手として参加。そのため、スト破りを行った報復措置としてメジャー昇格後も選手会への加入を認められなかった。

1996年7月15日にメジャーデビュー。以後、2000年ミルウォーキー・ブルワーズ2002年シカゴ・カブスと渡り歩く。

2003年、それまでチームの中軸打者であったシャーマン・オバンドーに代わる選手として日本ハムファイターズに入団[1]。同年のオープン戦では、193cmの身長に対して脚が長いために構えた時の重心が高く、低めに集める日本の変化球に対応できず振り回されていた。シーズン途中で故障離脱もあり、得点圏打率.245とチャンスにやや弱いのがネックとなったものの、徐々に日本の野球に対応していき、打率.275、31本塁打、84打点の好成績を記録して翌年の残留を勝ち取った。

2004年は開幕戦で4番として出場。5月1日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(札幌ドーム)では2回、5回に本柳和也から、6回にマック鈴木から3打席連続本塁打を放つ[2]。しかし、1月中旬にDTクローマーに代わる助っ人として加入したフェルナンド・セギノールの大活躍に加え、シーズン途中にオバンドーが復帰。エチェバリアを含めたこの3人と髙橋信二小笠原道大らと強力打線を形成したこともあったが、後半戦からはスタメン出場の機会が減少。しかし、オバンドーと2人揃ってスタメンから外れる時は、田中幸雄島田一輝らと「恐怖の右代打大砲カルテット」を形成し、対左投手にとって脅威の存在となった。公式戦最終戦では、チームのプレーオフ進出を決定づける本塁打を放ったものの、結局は打撃面全般で前年の成績を下回り、10月5日に戦力外通告を受けて退団となった[3]

エンジェル』という名前から、登録名を『エンジェル』にする案もあったが、さすがに本人が辞退[注 1]。オフのファン感謝祭では天使の格好をしたこともある。また、応援歌のメロディはマット・ウインタースの流用だが、歌詞には『舞い降りた天使』という節がある。見た目は強面だが性格は温厚で、とある試合でデッドボールを受けベンチに下がった際にはあまりの痛さに泣いてしまっていたと当時チームメイトであった森本稀哲がのちに語っている。

2005年はカブスとマイナー契約を結んだが、5月に退団。その後、メキシカンリーグでプレーをし、2006年は、独立リーグ・アトランティック・リーグブリッジポート・ブルーフィッシュでプレーをした。

2020年2月7日、ウイルス性胃腸炎で体調不良だった最中、自宅で転倒して頭部を打ち、ブリッジポートの病院に緊急搬送されたが死亡が確認された。死因は不明。48歳だった[4]。北海道移転後の日本ハムでプレイした選手が死亡したのは初の事例である。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1996 COL 26 26 21 2 6 0 0 0 6 6 0 0 0 2 2 0 1 5 0 .286 .346 .286 .632
1997 15 22 20 4 5 2 0 0 7 0 0 0 0 0 2 0 0 5 0 .250 .318 .350 .668
1998 19 33 29 7 11 3 0 1 17 9 0 0 0 0 2 0 2 3 4 .379 .455 .586 1.041
1999 102 211 191 28 56 7 0 11 96 35 1 3 0 0 17 0 3 34 11 .293 .360 .503 .863
2000 10 9 9 0 1 0 0 0 1 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .111 .111 .111 .222
MIL 31 49 42 3 9 2 0 1 14 4 0 0 0 0 7 0 0 9 1 .214 .327 .333 .660
'00計 41 58 51 3 10 2 0 1 15 6 0 0 0 0 7 0 0 11 1 .196 .293 .294 .587
2001 75 145 133 12 34 11 0 5 60 13 0 1 0 1 8 0 3 29 2 .256 .310 .451 .761
2002 CHC 50 111 98 14 30 7 0 3 46 21 0 0 0 4 8 0 1 17 4 .306 .351 .469 .821
2003 日本ハム 110 474 429 64 118 24 0 31 235 84 1 2 0 1 27 2 17 113 16 .275 .342 .548 .890
2004 94 360 306 44 79 16 0 16 143 54 1 2 0 3 40 3 11 71 11 .258 .361 .467 .828
MLB:7年 328 606 543 70 152 32 0 21 247 90 1 4 0 7 46 0 10 104 22 .280 .343 .455 .798
NPB:2年 204 834 735 108 197 40 0 47 378 138 2 4 0 4 67 5 28 184 27 .268 .350 .514 .864
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB

背番号

  • 11(1996年 - 2000年途中)
  • 39(2000年途中 - 2001年)[注 2]
  • 12(2002年)
  • 43(2003年 - 2004年)

脚注

注釈

  1. ^ エチェバリア」という名字は本来スペイン語圏の名字であり、「エンジェル」もスペイン語では「アンヘル」と発音する。
  2. ^ ブルワーズ移籍直後の背番号は38であったが、すぐに39に変更となる。

出典

  1. ^ 「エチェバリア 日ハムが獲得 大リーグ21発」『北海道新聞』(縮刷版) 2002年(平成14年)12月16日付夕刊、4面。
  2. ^ 「エチェ3連発3連勝 練習量増やし復調 日本ハム 4位浮上」『北海道新聞』(縮刷版) 2004年(平成16年)5月2日付朝刊、15面(スポーツ面)。
  3. ^ 「エチェバリア ループを解雇」『北海道新聞』(縮刷版) 2004年(平成16年)10月6日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  4. ^ “急逝エチェバリア氏、1週間前からウイルス性胃腸炎”. (2020年2月9日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202002090000475.html 2020年2月9日閲覧。 

関連項目

外部リンク

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