エストリズセン朝エストリズセン朝(Estridsen)は、1047年から1375年まで続いたデンマークの王朝である。エストリズセンの名は、王朝の祖スヴェン2世の母で、デンマーク王スヴェン1世の娘エストリズに由来する。また、スヴェン2世の父の名から、ウルフ朝ともいわれる。 概要1042年にデンマーク王ハーデクヌーズが死去し、ノルウェー王マグヌス善王がハーデクヌーズとの生前の協定に基づき、デンマーク王として即位し、ノルウェー・デンマークの同君連合が成立した。これに対し、母エストリズを通し、デンマーク王スヴェン1世の孫であったスヴェン・エストリズセンが挙兵し、デンマーク王に選ばれスヴェン2世として即位し、エストリズセン朝を開いた。スヴェン2世の5人の庶子による王位争いをはじめ、王家内で王位継承をめぐる争いがしばしば起こり、一族内から半ば独立したシュレースヴィヒ公やドイツ人貴族ホルシュタイン伯との関係にも悩まされた。また、財政難のため領土を担保に借金を繰り返し、8年の空位のあとデンマーク王位についたヴァルデマー4世の即位時には実効領土がほとんどない状況に陥ったが、ヴァルデマー4世はその長い治世の間に、税制改革やエストニアのドイツ騎士団への売却などによって得た資金をもとに国土の回復に努めた。しかし、1375年にヴァルデマー4世が死去した際、ヴァルデマーには男子相続人がおらず、次女マルグレーテとノルウェー王ホーコン6世の間の息子オーロフ2世がデンマーク王位およびノルウェー王位を継承し、ノルウェー・デンマーク同君連合が成立した。 系図
デンマーク王
関連項目参考文献
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